6歳の娘と歩いたヒマラヤ・アンナプルナ 松本家の親子3代ネパール旅
2020.11.2 / /だーいぶ遅くなってしまいましたが、
2019年の11月に父72歳と6歳の長女の親子3代で出掛けていったネパール・アンナプルナのトレイル旅を振り返ろうかと思います。
なかなか書き出すことができなかったのは、この旅がとても個人的な欲求を満たすためというか、
自分の原点みたいなものを再確認したかったがための旅であり、
他の人に共有する必要はあまりないかなと思っていたからでもあります。
とは言え、親子3代。
ましてや小学校1年生の女の子とヒマラヤのトレイルを旅するというひとつの物語を読みたい人もいるのかな?
とも思い、今更ながらでもありますがつらつらと書いて見ることにします。
「6歳の女の子がヒマラヤをトレッキングするなんて可能なの?」
という質問をよく投げかけられました。
親である自分が、いままで何度もネパールを訪れていて慣れているのもあるけれど、
少し気を使ってあげれば特別に困難なわけでもなく楽しい旅になることでしょう。
ヒマラヤの民にとっては5000mは『丘』、6000mからが『山』の認識。
急峻な日本の山よりも広大なヒマラヤは勾配も緩やかであり、子どもを連れて歩くにはちょうど良いと昔から感じていました。
とは言え、子どもを連れての初海外。
しかも70歳を超える父をも供に行くことを考えるといつもと違う旅になる予感。
まだの方は前回の記事も読んでみて下さい。
ちなみに父も「俺はヒッピーじゃない」という元旅人。
松本家の親子3代ネパール旅 三つ巴でアンナプルナを目指します。 | 山と海に囲まれた西伊豆のロッジ LODGE MONDO – 聞土 -【ロッジ モンド】
3週間ほどネパールへ出掛けてくることになりました。 最初は小学校1年生になる長女のあこやを連れて2人だけで行こうと思ったのですが父も誘うことに。 タリバン残党兵の様な風貌ですが僕が生まれる前、40年前の父です。 場所はアンナプルナのカクベニ村周辺。 そう、彼も若い頃は旅をしていました。 それも結構ストイックな。 次はしっかりと銃を持っていますがISISではありません。 …
成田空港からソウル経由でネパールの首都カトマンズへ。
相変わらずカトマンズ盆地の空気は埃っぽく、到着するなりスパイスと排気ガスの匂いと共に全員喉をやられました…
地元のネパールの人たちもマスクを付けて行動している人も多かった。
それでも20年くらい前にはじめてネパールへ来た時よりも、電動トゥクトゥクの導入なので大気汚染も改善しているかも?
気になる人はタメルのスーパーマーケットでマスクを手に入れることをおススメ致します。
成長を続けている「電線の樹」がまたこの10年でスゴいことになってる。
昔はあちらこちらにあったインターネットカフェは消えて無くなり安宿にもWi-Fiが飛んでる。
たぶんだけど、各建物ごとにネット回線を引きまくったからこんな絡まりまくるのだろう。 pic.twitter.com/dbAgKIhiuI— 松本潤一郎@西伊豆の移民 (@junichiro_izu) October 23, 2019
気になっていたのが2015年に起きた地震の影響。
ダルバールスクエアにあった寺院や建造物もかなりの被害があっていまだ修復作業中でした。
ダルバールスクエアはネパール地震のために半分くらいが倒壊していたけど、変わらないところはそのままで良かったな。
20年前は入場にチケットは必要なかったけど今は1000ルピー
建物の修復にかけてくれるなら喜んで払うよ。タイミングよくクマリにも会えて子供も喜んでた。 pic.twitter.com/YqXdHwQO2h
— 松本潤一郎@西伊豆の移民 (@junichiro_izu) October 23, 2019
カトマンズの街を見下ろす丘の上に立つスワヤンブナート。
こちらは地震もサバイブしたらしく、人も多く賑わっていました。
相変わらず強気なサルが幅を利かせているけれど、なんせここでは神ハヌマンの使いだから仕方がない。
バックパッカー時代に毎日通い詰めたチベット料理の名店ギリンチェ。
オーナーが変わったらしいけれど変わらず安くて美味しいチベット料理が食べられます。
奥まっているからかなり入り口がわかりにくい。
いまはスマホのGPSがあるので誰でも探せると思います。
ココです!!
山梨の「ほうとう」に良く似たチベット料理、テントゥク。
野菜もたっぷりで日本人の好みの味付け。
店内は地元の人たちやツーリストで賑わっています。
カトマンズへ行ったらぜひ行ってみてほしい!!
ネパール子連れトレッキングで気を付けていた点をまとめてみると
・高度順応に時間をかける
・毎日4時間以上は歩かない
・できる限り休息日をたくさん取る
・生の水・生野菜をとらない
これをしっかりやっていればストレス無く旅を楽しめると思います。
逆にこれを徹底すれば体力のない人にもヒマラヤトレッキングに出掛けられるということ。
ヒマラヤのトレッキングは冒険では無い。
自分もはじめての子どもを連れての海外旅行であったのですが、いままで体験してこれなかった違う旅をすることができました。
ネパールの人たちや、世界中からやって来るトレッカーたちにも子どもと旅しているだけでとても親切にしてくれる。
バスや飛行機に乗る時も優先的に乗り降りできたり、揺れが少ない席を取ってくれたり。
子どもが4人いるのですが、国内を子どもをぞろぞろ連れて旅行をしても日本ではそんな親切受けたことなかったぞ…
そしてローカルの子どもたちも同年代の小さな旅人が気になるらしく、
「いっつもジロジロ見られる」
と言っていた娘のあこや。
結局は言葉など通じなくてもすぐに宿や食堂の子どもたちと遊びはじめていた。
無理をしない行程を組んでいても、標高が4500mを超えてくるとさすがに少し気を使う。
アンモナイトの化石を探しに沢の周りを歩きまわり、二人して日暮れまで夢中になってしまったときに高山病の症状が出てしまった。
アンモナイトをたくさん見つけることが出来て興奮してしまったのと、身体を冷やしたのが原因。
ニンニクたっぷりのガーリックスープが高山病には良いとされていて、あとはたくさん水分を取りながらお茶を飲んでよく休むと治った。
今回の最高地点は標高5416mのトロン・パス。
あこやの体力であれば、時間をかけていけば自分の足で超えられるだろうと歩きながら考えていたけれど、
別にすべて歩いていかなければならない理由もない。
旅の目的は6歳で5000m以上の峠を越えるとか、記録とかでは全く無く、
ただネパールとヒマラヤ山々を楽しむことが目的だ。
なので、最後の500mの登りは下の村で頼んでいた馬に乗ってトロン・パスを超えることに。
馬に乗って山道を行くなんて日本の山ではなかなか体験できないし、これは楽しい経験だったみたい。
トロン・パスに到着するとさすがに寒く、空気も薄い。
けれど高地の澄み切った空の色は青を通り越して黒く、宇宙に少し近づいた気持ちがする。
こんな場所まで登って来たあこやは、いろんな国のトレッカーやネパール人のガイドからも一緒に写真を撮ろうと言われ忙しいそうだ。
あまり長居するとまた高山病になるかもしれないので、
峠の茶屋でお茶を飲み一息入れ、これからの長い下りに備える。
ここから3800mのムクチナートまで降りて、そこで父の稔と合流。
父と母が自分が生まれる前、1980年にムクチナートを訪れていた。
その時は車道はもちろん、電気さえも来ていなかった。
自分が17歳の頃、初の海外ひとり旅でムクチナートへ来たのが1999年。
その時もポカラから少しだけバスで移動した麓の村から歩いて行くしかなかった。
その頃は停電ばかりしていたけれど電気は通いはじめていた。
そして今回、車道は伸びてポカラからバスでムクチナートまで行けるようになり、
ほとんどすべての村の宿でWi-Fiが飛んでいた…
さすがに72歳になる父にはトロン・パス超えはきつそうなのでバスで先回りしてもらっていて、
これからカリガンダキ川に沿って緩やかなトレイルを親子3代の歩き旅。
車道は整備されているけれど、旧街道を歩くことになるのであまり車に対するストレスを感じなかったが、
以前はロバやヤクのキャラバン隊が首から下げてる「ごろん、からん」という音しかしなかった世界に、
トラックやバスが走る音が聞こえてくるのは、やはり少しだけ寂しかったな。
ムクチナートの周辺はチベット高原の入り口に位置していて、文化や宗教もチベットに近い。
カリガンダキ川にゆっくりと村を繋ぎながら歩いて下ってくると再び樹林帯に入っていった。
タトパニ村の手前からバスを乗り継いでポカラへ戻った。
2週間ほどヒマラヤの高地に居たために、強い紫外線で日に焼けた娘の顔。
この旅へでかけるため学校は1か月休ませた。
学校があるから長い旅行へ出掛けられないと言う人もいるけど、
旅の期間中は宿のダイニングやカフェで勉強を教えていた。
通っている担任の先生に、休ませている間に勉強をする範囲を伝えてもらい教科書を持っていったのだ。
帰国してから学校に戻っても、特別に授業に付いていけないなどの遅れもなかった。
カトマンズに到着した夜、裸足で物乞いをしている歳も同じ頃のストレートチルドレン。
「あの子のお母さんは?寝る場所はあるの?」
家族のために薪を背負い働くネパールの子どもたち。
「あこやたちも家の手伝いしてるよね?」
ガート(火葬場)で薪で燃やされる遺体とヒンドゥの葬儀。
「おっきいじいじは暗い扉の中で燃えて煙突から煙になったよね?」
ネパールの食堂で食べた鶏肉やマトン。
「日本のお肉よりも味があるよね?」
日本で暮らしているだけでは感じることのできない経験。
外の世界にはいろいろな人たちの暮らしがあり、様々な考え方や宗教、文化がある。
6歳の子どもでは咀嚼できないこともあったと思うが、
母親や妹と弟たちと離れて出かけて行ったこのネパール旅が、
彼女のはじまったばかりの人生のちょっとしたスパイスにでもなってくれればなと思う。
この記事を書いた人

株式会社 BASE TRES 代表
西伊豆の山を【まわす】BASE TRESのシャチョー。幼稚園を中退する輝かしい学歴からスタートし、中学はもちろん不登校。修学旅行の積立金を返してもらったお金でテントを買い、一人旅へ出掛けるようになり早々とメインストリームからドロップアウト。
17歳にはヒマラヤのトレイルを歩きはじめ、その後カラコルムやアンデスへ。南米大陸をオートバイで走りまわったあと西伊豆へ移住。ギターを弾いて飲み代を稼ぐのがライフワーク。