松本家の親子3代ネパール旅 三つ巴でアンナプルナを目指します。
2019.10.17 / /モンドトリップ72歳の父、6歳の娘を連れてネパールへ
3週間ほどネパールへ出掛けてくることになりました。
最初は小学校1年生になる長女のあこやを連れて2人だけで行こうと思ったのですが父も誘うことに。
父、松本稔です。
タリバン残党兵の様な風貌ですが僕が生まれる前、40年前の父です。
場所はアンナプルナのカクベニ村周辺。
そう、彼も若い頃は旅をしていました。
それも結構ストイックな。
父、松本稔です。 第4次中東戦争の頃のシリア。
次はしっかりと銃を持っていますがISISではありません。
深夜特急の著者、沢木耕太郎が旅していた同時期に、
シリアやレバノンで古式銃を買い付けに行く仕事をしていたそうです。
その後、深夜特急とは逆ルートで中東からインドへ旅していたとか。
沢木耕太郎と同じ1947年生まれの72歳元旅人です。
そして僕が生まれました。1982年生まれ37歳です。
ちなみに母もインド・ネパールを1980年に父と行っています。
第4次中東戦争に巻き込まれて、紅海上空でイスラエルとシリアの戦闘機の空中戦がはじまり国境へ向けて戦車が集結。
夜中に車のライトを消して空港に向かいシリアから逃れるも、
レバノンで地元の子供に連れられて遊びに行った家がレバノンマフィアで大量のハ●シを渡され
「これをヨーロッパに持って行けば金になる」
と言われ、腹に巻いてトルコ(これ、深夜特急の元になった映画ミッドナイト・エクスプレスの話と一緒だ)からギリシャへ入るも処分に困り、
パルテノン神殿土台の隙間へ隠すという話を絵本を読んでもらうより楽しみにしていた。
そりゃ僕が幼稚園を中退してしまうわけです。
詳しくはこちらの記事を読んでみてください。
僕の人生の大体の事を書いています。
こんな両親に育ったので自分が旅をするのは必然だった。というより、するものだと幼いころから思ってました。
17歳の時にはじめてネパールのトレイルを歩く旅にでかけます。
父と母が歩いたトレイルです。
アンナプルナサーキット1周 聖地ムクティナートへの道
それからあちこち、外国を旅してまわるようになるのですが滞在回数・滞在期間とものネパールが断トツです。
ちゃんと数えてないけど次で8回目のネパール入国になるかな。
とにかく10代の頃はネパールに通いました。
なぜならネパール人の彼女がいたからです。
当時付き合っていたネパール人の彼女です
いまどうしてるのかなぁ
この時18歳だったけどこのまま血迷って結婚するっていう人生もありだったのかなとフト思った通り….
それにしても胸が痛くなるほどかわいいな
昔のオレ pic.twitter.com/MI71ZsGXXZ
— 松本潤一郎 | ロッジモンド & ヤマブシトレイル (@junichiro_izu) October 17, 2019
と、言うのは冗談であり本気なのですが、
やはり一番はトレイルを歩きヒマラヤの深部へ入って行く旅が堪らなく面白かったからなのです。
この時にネパールへ行っていなかったら西伊豆にも来ることもなかっただろうし、
古道を見つけてもそれを直そうとも思わなかったことでしょう。
学校を3週間休ませて親子3代でアンナプルナへ
元カノの話が出てきたあとで長女あこやの登場です。
彼女にとって今回の旅はすべてが異次元で6年間の短い人生の中でも特別な経験になることでしょう。
自分の人格が形成されたと言ってもおかしくないネパールという土地に連れて行き、
日本とは全くちがう文化や空気を体感させるのは自分が子供にできる一番の教育だと思います。
寛容性が失われているのに多様性が求められ、これからの将来はいままでより変化が激しくなるだろう世界で生きていくためにも、
なるべく早い時期に広い視野と、オーバードーズな経験をさせてあげようかと思います。
それが自分が親として子にやってあげられること。それくらいしか僕にはできません。
3週間学校を休ませることになりますが、幼稚園を中退しても会社やれてるので大丈夫でしょう。
6歳とはいえ、伊豆で生まれ育った生粋のINAKA-MONOなのでめちゃくちゃ体力あります!
台風15号、19号の暴風雨でマウンテンバイクツアーで使っている古道のトレイルはぐちゃぐちゃ。
ネパール旅へ向けてトレイルの復旧作業をはじめて手伝わせたのですが無気力な大人よりよっぽど働くし役にたちました。
1時間以上連続で山道を歩けるしなんと言ってもネパールは
「ビスターリ、ビスタリ」
「ゆっくり、ゆっくり」
行けば良し。
難関はマナンから標高5416mのトロン・パス越えだけど、
高度順応の時間をたっぷりと取り積雪があれば無理をせず引き返せばいい。
20年前に比べてジープロードが伸びてトレイルの距離も1/5くらいの距離になったのが残念だけれどそれも時代の変化です。
トロン・パスを超えたムクティナートで父と落ち合う計画です。
自分たちが留守の間、ロッジモンドは受け入れ客室数を絞って低空飛行営業しております。
宿泊、ツアーともに予約可能ですのでよろしくお願いします。
この記事を書いた人
株式会社 BASE TRES 代表
西伊豆の山を【まわす】BASE TRESのシャチョー。幼稚園を中退する輝かしい学歴からスタートし、中学はもちろん不登校。修学旅行の積立金を返してもらったお金でテントを買い、一人旅へ出掛けるようになり早々とメインストリームからドロップアウト。
17歳にはヒマラヤのトレイルを歩きはじめ、その後カラコルムやアンデスへ。南米大陸をオートバイで走りまわったあと西伊豆へ移住。ギターを弾いて飲み代を稼ぐのがライフワーク。