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ニッポン、カヤック釣り紀行【屈斜路湖・北海道編】

2021.7.11 / 松本潤一郎 /カヤックフィッシング

行って来ました。北海道へ1ヶ月。

トレーラーにカヤック3艇とキャンプ道具、8歳から2歳までの4人の子供たちを詰め込んで。

 

 

トレーラーも車内もぱんぱんで、屋根にまで荷物を積んで移動する騒がしい家族は、どこへ行っても少し浮いていたようで、トラックの運ちゃんにもよく話しかけられた。

西伊豆から大洗港へ行くだけで7時間。

トレーラーを牽引していると高速道路も80キロ巡航だし、子供が多いとサービスエリアに立ち寄る回数がどうしても多くなる。

だけれど自分たちには1ヶ月の時間がある。

のんびり行こうと決めた。

 

 

さすがに2歳の子供がいるとオールキャンプとはいかない。バンガローやコテージを泊まり歩いて旅するスタイルにした。

困ってしまったのが6月20日まで北海道に出されていた緊急事態宣言。

北海道はキャンプ場やバンガローが多くあるので長期の旅をするにはとても便利だけれど運営のほとんどが行政機関。

なのでほとんどのキャンプ場の施設が閉まっていた。

当初、北海道知事は人口が密集する都市部に対して緊急事態宣言に準ずる措置をと要望を出していたけど、国は都道府県に対して発令するものだからと結局は北海道全域に。

こんなに人と人との空間が広い北海道のどこに緊急性があるのだろう…

 

北海道に上陸するとすぐに東へと向かう。

最初の滞在地は音別にある「憩い森キャンプ場」。

釧路市が運営するこの場所は緊急事態宣言が出される中でも通常営業していた。

去年はヒグマがキャンプ場の付近で出たというので夏の間は閉鎖していたそうだ。

とても、理にかなっている…!

 

 

まだ20代になったばかりの頃、北海道をオートバイでまわっていた時にこのキャンプ場で何度か長期で滞在していた。

すぐ近くに音別川が流れていて、秋になると川に戻って来る大きなアメマスを釣って暮らした。

まだ若く、お金を持っていなかったので、オートバイに入れるガソリン代と食費を同じくらいに抑えてなるべく長い期間、北海道に居られるようにするためだ。

毎日、自分が食べる分だけのアメマスやヤマメをキープして、それに飽きると音別の町まで降りて、海でアイナメを釣る。

たまに食べるラーメンが唯一の贅沢。

 

その頃は70センチを越えるアメマスがボンボン釣れていたけど、いまではもうそんなに釣れなくなってしまったらしい。

北海道で立ち寄った釣り具屋の店主にその話をすると、アメマスの個体数は30年くらい前に戻っただけだとか。

なんでも、一時期はアメマスもその土地固有の川と海とを行き来する魚なので、定置網に入っても漁師は逃がして保護していた。

そのためにアメマスの個体が増えてしまい、漁師の大きな売り上げとなるシシャモが減り、網に入ったアメマスを駆除したと。

事実はどうなのか自分にはわかないけれど(釣り人と漁師の対立話は盛りが大きい)、楽しみにしていた音別川は大雨の影響で泥濁りだった。

 

 

音別川上流へと林道散策。

北海道はシダもフキもイタドリもでかい。

そういえば、シカもクマもでかいよね。

北に、寒い土地で生きていくには大きい方がいいのだろうか。

 

 

音別川の増水は取れず、海へ降りても大荒れでカヤックも出せそうもなく、日がな一日のんびりしながらここに4泊。

バンガローも2000円台で安いしキャンプサイトは無料。

静かな森の中にあって子どもが遊べる遊具もあり、家族で行くのにも良いキャンプ場だった。

欠点は、最寄りの風呂が白糠町で片道25kmあること。

まぁ、大した問題じゃないか。

時間はたくさんあるから。

 

 

音別を後にして向かったのは屈斜路湖の「和琴半島湖畔キャンプ場」。

ここは民間のキャンプ場なので通常営業していた。

バンガローから湖畔までは20歩のカヤックで湖へ繰り出すには最高の立地。

 

早速、カヤックで釣りをする準備をして漕ぎ出してみる。

 

 

屈斜路湖、想像以上に水がきれいだ。水深3mくらいまではカヤックの上から底まで見通せる。

そして海と違い、うねりが無いのであまり疲れないのは驚いた。

風が吹くと結構立派に波立つけれど、うねりを伴った海の波とはまったく違う。

 

そういえば、はじめてカヤックに乗ったのも海じゃなく湖だったと思いだす。

場所はグアテマラのアティトラン湖だったな。

 

 

水深30ⅿのボトム付近に反応があったので海でいつも使っているパイロットルアー、メタルマル40グラムを落とすとウグイ。

リリースできるようにシングルフックに変えて針のかえしをつぶしたバーブレスにしてある。

 

屈斜路湖はおもしろくて、昔に起きた海底地震で湖の水が強酸性になってしまい、酸性に強いウグイ以外の魚は一度ほとんどいなくなってしまったらしい。

最近になって水質が改善されて、マス系の魚も再び棲めるようになったそう。

屈斜路湖から流れ出す釧路川にはからも戻ってきたのだろうか。

ワカサギも増えてそれを捕食する魚も大型化しているというちょっと珍しい湖。

 

 

バンガローの小屋暮らしでは米と簡単なおかずだけの粗食がメイン。

常温保存で発酵が極度に進んだキムチとかも最高なんだよな。

食事の後の食器洗いは子どもたちの仕事だ。

 

 

風の無い日はカヤックで湖畔を散策。

今回はいつも伊豆でカヤックフィッシングツアーのガイドをする時に使うホビーカヤックのアウトバックと、タンデム艇のコンパスデュオ、それと長女がひとりで乗るパスポート12をトレーラーに積んできた。

ホビーカヤックはどのモデルも浮力がかなり高いので、子どもであればシートの後ろに折り畳みチェアで乗せてあげられる。

この日は和琴半島の先端にあるオヤコツ地獄まで向かってみた。

 

 

 

オヤコツ地獄に近づいて行くと海底から噴き出るガスが魚探に移る。

オヤコツ地獄以外の場所でもあちこち噴き出している場所があったので、その周りにはあまりトラウト系は近寄らないかもしれない。

 

 

 

 

滞在中、毎日湖に漕ぎ出てレイクジギングのスタイルでヒメマスやアメマス、トラウト系を狙うもののまったく釣ることができなかった。

魚探にはジグを追いかける魚の反応が見えるものの、見切られる。

いつも海で使うジグが大きすぎるのか(北海道旅の最後に行った南富良野町のかなやま湖では海のジグでちゃんと釣れた)、ラインが太すぎるのか。

とにかく全部のルアーやタイラバまで引っ張り出しても追って来る魚は確認できるのに釣り上げられない…

ヒットしてくるのはウグイばかり(いつも釣ることのできない魚だから楽しいけど!)。

 

湖畔キャンプ場のおじさんは釣りが好きで毎日ボートで釣りに出掛けていたが、ヒメマスをトローリングでたくさん釣りあげていた。

周りを見ると確かに、ボートからトローリング用の反射板をたくさん取り付けてやっている人たちはちゃんと釣れているようだ。

反射板の下には小さなスプーン。

 

オートバイで南米を走っていた時に、ボリビアやペルーの川で適当なルアーを投げると簡単に釣れた魚がトラウトってイメージだった。

 

「トラウトって獰猛な魚だし、あんまり釣り人がいない湖の沖でジグを放り込めば釣れるでしょ」

 

と、考えていたけどまったくダメだった。釣れない…

 

湖面で孵化しているユスリカに対してのボイルはあちこちで見られたけど、大きめのワカサギなどのベイト反応はほとんど魚探に映らなかった。

カヤックからのフライフィッシングでも面白そう。

ロッジモンドの近くの仁科川でも楽しめそうだからフライフィッシングもはじめてみようかな。

 

せっかく屈斜路湖に滞在しているので釧路川の源流部だけでも家族と一緒にカヌーで下ってみたいと思い、弟子屈町に地域おこし協隊として移住して、今シーズンからメロン農家として就農した大森さんに相談してみる。

大森さんとは前職が自転車関係でその頃からの付き合いがあり、去年も弟子屈町に寄った時にお邪魔させてもらった。

 

 

ちょうど北海道に滞在していた時にNHKでも紹介されていた。

屈斜路湖の滞在中に家にも招待してもらったり、朝4時からの早朝カヤックに一緒に出掛けたりとお世話になりました。

いただいた手作りハスカップジャムも最高だった。

 

 

大森さんが紹介してくれたカヌーツアー、SOMOKUYAさんを紹介してもらった。

屈斜路湖から流れ出る釧路川源流域をカナディアンカヌーで下る。

 

 

 

コーナーを抜ける度に現れる倒木を避けながら進む。

カナディアンカヌーは森や川の自然の風景に溶け込むきれいな舟。

 

 

SOMOKUYAさんのカヌーツアーは川を下るだけのアクティビティだけではなく、屈斜路湖や釧路川の動物や植物や生態などにも精通してツアー中に説明してくれるので、ツアーに参加してからこの土地に対する知識の深度が上がった気がする。

もう少し子どもたちが大きくなったらロングコースに連れていってもらおう。

 

 

 

1ヶ月、学校を休ませているので天気の良い日はバンガローの外にテーブルを広げて自習。

次の目的地は霧多布がある浜中町。

旅はつづく。

 

この記事を書いた人

松本潤一郎 junichiro matsumoto

株式会社 BASE TRES 代表
西伊豆の山を【まわす】BASE TRESのシャチョー。幼稚園を中退する輝かしい学歴からスタートし、中学はもちろん不登校。修学旅行の積立金を返してもらったお金でテントを買い、一人旅へ出掛けるようになり早々とメインストリームからドロップアウト。
17歳にはヒマラヤのトレイルを歩きはじめ、その後カラコルムやアンデスへ。南米大陸をオートバイで走りまわったあと西伊豆へ移住。ギターを弾いて飲み代を稼ぐのがライフワーク。

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