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ニッポン、カヤック釣り紀行【霧多布・北海道編】

2021.7.13 / 松本潤一郎 /カヤックフィッシング

広大な景色に広がる冷たい海。

屈斜路湖から霧多布岬がある浜中町に移動してきた。

これからこの家に2週間。浜中町のお試し移住の住宅に滞在する。

1ヶ月の家賃は電気代や水道代込みで45,000円。

それ以下の滞在は日数によって日割り計算となる。

調べてみると、北海道以外にもあちこちでお試し移住の制度があるみたいで、暮らすように旅するスタイルの自分たち家族に滞在先としてとても使い勝手が良さそうだった。

4泊した屈斜路湖の湖畔キャンプ場から太平洋側へ移動して行くと、どんどん気温が下がっていく。

前回のニッポン、カヤック釣り紀行はこちら。

 

水温は冷たくて、海には誰もいない…

伊豆の場合、暇そうな老人たちが特に意味もなく、わらわらと港や浜辺に集まって来てはボーっと海を眺めている。

という光景も、ここには無かった。

昆布漁が解禁になる直前ということもあり、海はとても静かだ。

 

 

 

湾内で海水に手を入れると以外と水温が高く、これならセミドライパンツを履かなくても良さそうかと思いきや、

湾を抜けて沖に出ると水温は8℃。

晴れていて、気温は18℃くらいあるのに海面からの冷気が上がって来るから物凄く寒い…

まるで冷風機の中に放り込まれたように身体の体温が奪われていった。

 

そして、2㎞漕いでも水深が15mしかない。

北海道の海の中は陸と一緒で広大で、同じような地形がずっと続くのだ。

砂地なら砂地、岩地なら岩地。

地形変化も少なくて根も無い。

水深40ⅿくらいまで行けば面白そうな地形変化がありそうだったけれど、さらに沖に向けて2㎞は漕がないとならず、

この低い海水温の中をカヤックで進んでいく気にはなれなかった。

 

 

動物作家のムツゴロウさんが王国を立ち上げる前に住んでいたという、嶮暮帰島(けんぼっきとう)。

北海道はアイヌの言葉を元に地名に置き換えているのが良いな。それがちゃんと文化の奥行きになってる。

南米も入植地だけれど「サンタなんとか」「プエルトなんちゃら」ばかりで、ただただ略奪しただけなのがよくわかる。

松浦武四郎の本、ちゃんと読んでみよう。

 

釣りはいちどアメマスがジグを追いかけてきたのと、湾内に戻ってからテトラポット回りでガヤと遊んで退散。

 

 

夕方、家族で霧多布岬に行ってみるとラッコが当たり前のように浮かんでいた。

嶮暮帰島の沖で水面をもぞもぞやっている動物が見えていたけど、ラッコだったか。

 

 

 

 

滞在中、イトウが棲むという別寒辺牛川の湿原を下ってみた。

水深も深く、いかにもイトウが棲んでいそうな雰囲気だったけれど、アメマスやウグイさえも反応せず。

代りにオジロワシを見れた。

 

 

こんな状態だから釣りどころじゃないんだよな。

2歳の息子も原野に連れて来るとはじゃぐのをやめる。自然の中にいる緊張感だね。

別寒辺牛川、次回はもっとじっくり向き合ってみたい川だった。

 

 

 

海は冷たすぎるし、すぐに霧がでるのでカヤックに乗るのが億劫になってきた。

そんな時は霧多布港の岸壁からのチョイ投げでカレイ釣り。

なぜか伊豆にはほとんどいないカレイ。

ヌマガレイとクロガシラの2種類が釣れたので煮つけに。

クロガシラは美味しい。ヌマガレイは名前の如しだった…

 

 

浜中町はモンキーパンチの出身地。

役場の中までルパン三世だらけだった。

 

今年はシャチのスーパーポッドが見られるらしいので、浜中町の拠点はそのままに、知床まで行ってみることにする。

 

この記事を書いた人

松本潤一郎 junichiro matsumoto

株式会社 BASE TRES 代表
西伊豆の山を【まわす】BASE TRESのシャチョー。幼稚園を中退する輝かしい学歴からスタートし、中学はもちろん不登校。修学旅行の積立金を返してもらったお金でテントを買い、一人旅へ出掛けるようになり早々とメインストリームからドロップアウト。
17歳にはヒマラヤのトレイルを歩きはじめ、その後カラコルムやアンデスへ。南米大陸をオートバイで走りまわったあと西伊豆へ移住。ギターを弾いて飲み代を稼ぐのがライフワーク。

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