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真っ直ぐな人物 白石康次郞さん①

2018.12.2 / 囲炉裏端ハルヲ /

ようこそわが囲炉裏端へ

むかしの江奈浜海岸 弁天島付近が父の船のあげ場だった

 まず白石さんを紹介する前に、なぜ私が「囲炉裏端:ハルヲ」なのかを書いてみたい。生まれは1936(昭和11)年4月10日、半農半漁の貧しい家の次男として生まれる。当年82歳半となる老人(気持ちは若いつもり)である。

  もし船酔いする体質でなければ、遠洋漁業の無線師として大海原を駆け巡り、現在この町の漁業衰退を食い止めていただろう。父親は、息子の就職は家業の漁師にすると決めていた。息子4人あれば蔵が建つといわれた時代である。

母は、石部棚田のある集落の生まれで、超小柄な身体で子育て、百姓、父が釣ってきた魚の行商、その合間に他家の手伝い、介護と、辛い顔も見せず動き回っていた。

父は、鰹漁船に乗った後の晩年は沿岸小船の漁師であった。父も次男で裸一貫のスタート、家屋敷、田畑を買い求めるのに夢中で、子供の教育には一切気にとめなかった。だから4人兄弟すべて中卒で、世の中に放り出した。でもケチにもかかわらず、酒乱まじりの酒飲みだった。

私が中学を卒業した昭和27年は就職難で、職の選り好みすることは出来なかった。降ってわいた住み込みの印刷屋に飛びつくしかなかった。東京深川の親方を入れて4人ほどのバラック建て工場で、月2日の休日、800円の小遣い(給料)、徹夜もある過酷な労働条件だった。それでも一人前の職人になりたくて耐えたものである。でも地元先輩とのトラブルが発生、2年で東京を離れる。つぎに沼津市の中堅:A印刷所に就職して7年間を過ごす。82年間の生涯のうち通算9年間、故郷を離れたことになる。

それが良いか悪いか別にして、私には常に「親孝行」が念頭にあった。とくに母親に対して強かった。兄は遠洋漁業に従事していたのでそれを補う意味もあり、婿入りを決意したのだった。また、2人の弟をも地元に呼び寄せ、互いが協力することで何とかやってこれたのである。

ひとが生きようとすれば、必ずといっていいほど障害はつきまとう。それでも家族・師・友人などあったお陰で乗り越えられたと思う。苦難が立ちはだかった時、私のイメージするものは、母の生家の「囲炉裏端」であった。通りがかった見ず知らずの人をも呼びとめ、一点に燃える火に手をかざした。温もった身体と心は、自他の境を超えて分かり合えるのだった。

そんな意味から2001(平成13)年開設のHPは「ようこそわが囲炉裏端へ」と命名した。老若男女、貧富の境界ないコミュケーションこそ「安心安全:倖せの原点」だと。

私は、かつてヘイマンの祖父:平馬学先生らが立ち上げた「ふるさとガイド松崎」の会員、会長をも務めた。皆様にこの町の良さを案内してあげたい。そして自称であるが「郷土史家」を名乗る。また、2年半前に妻を喪って思ったことは「次世代に伝えなければ」の強い使命感である。解りの悪い老人の戯言と感じられるかもしれないが、理想は「三世代循環型社会」である。

 

白石康次郞さんの公式HP

さて、話を本題:白石さんに戻そう。漁協ストアー(松崎港)前にある「ヨットによる単独無寄港世界一周モニュメント」から案内しよう。これこそが世界最年少記録樹立:白石康次郞物語スタート地点である。それもわが松崎町観光大使であり、「無から有を生じさせる」彼の来し方、生き方に注目したい。

陶板は、南伊豆町在住:倉前幸徳氏制作

  私と彼との関係は、オーストラリアから師:多田雄幸使用艇を松崎海岸に上架、整備時にさかのぼる。そして世界一周を遠くよりサポートしたが、深い会話を交わしたことはない。年齢差は親子年代なのだが、彼がまぶしく気の利いた言葉が発せれないのである。

現在、森精機のバックアップあって新艇「DMG MORI号」建造が始まり、2020年ヴァンデ・グローブヴァン大会に向けて進行中である。前回は、中古艇を購入、レース途中にマストが折れるというアクシデントに見舞われてリタイヤ。次回は、新機能を供えた新艇でレースを貫徹、白石康次郞の名を全世界に知らしめることだろう。

 

 

 「DMG MORI号」の完成図

 

11月より建造がはじまった「DMG MORI号」

 

彼は、決して松崎町が再出発の恩地であることを忘れるはずはない。真っ直ぐな人物だからである。私は、彼を畏敬の念をもって応援を続ける。

次号は、どうして松崎へたどり着き、そして世界一周を成し遂げたかを書いてみたい。

この記事を書いた人

囲炉裏端ハルヲ
囲炉裏端ハルヲ haruo iroribata

お陰さま、ありがとうで=平均寿命を超えました。囲炉裏端ハルヲです。 半日百姓・デジカメ散策。三世代循環型社会を理想としています。
町が元気になるよう応援しているつもりです。
82歳の老人、思い残すことなく終わりたいと思っています。
そのため苦言が多くなることお許しください。

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