西伊豆古道再生再生プロジェクト物語〜プロローグ〜
2020.8.15 / /トレイルマウンテンバイク森林整備みなさんどうもこんにちは。ヘイマンです。
今回は私がガイドを務めるYAMABUSHI TRAIL TOURで使っているトレイルの開拓・管理・維持を行う、
『西伊豆古道再生プロジェクト』について書いていこうと思います。
西伊豆古道再生プロジェクトとは、西伊豆の古道を再生するプロジェクトを遂行する団体です。
そのまんま過ぎて説明するほどではありませんでしたね。
この名前は、地権者である町民の皆様に自分たちが何者かがすぐわかる様にと付けられた聞きました。確かに分かりやすい。
まず最初に、マウンテンバイクで走る『道』には大きく分けて2種類あると思ってます。
1つ目はマウンテンバイク用に設計された専用のコース。
2つ目は元々あった道を再利用するトレイル。
この二つはどちらもコースでありトレイルで、ミックスされたモノもありますが、ここでは人工的に一から造成したものをコース、自然のままの昔からある道をトレイルと呼びます。
あくまでここでの内容を分かりやすくするための呼び分けです。ピザとピッツァの違いくらいに思っといてください。
『コース』についてはまたの機会に書くとして、今回は『トレイル』についてのお話です。
元々あった道を再利用と書きましたが、その道が『古道』です。
読んで字の如く古い道なわけですが、一番古い場所では1200年前からあり、車社会になる前に生活道として使われていた道です。
急峻な山々が立ち並ぶ伊豆半島では、人々は主に海沿いの河口付近の開けた土地に集落を作り生活をしてました。
そのため集落と集落の間は山に隔たれ、往来には海を渡るか山を超える他なし。
そんな時代に各集落を繋ぐ道が作られ、往来の多かった山の尾根には動脈の様な太い道ができ、そこから伸びる血管の様に集落へ、さらには畑や炭焼き場へと毛細血管の様に道が張り巡らされていました。
そんな歴史ある道も、現在80歳後半の方々が小学生の頃、約70年前を最後に使われなくなり荒廃していったそうな。
手前に広がるのが松崎町、山の向こう側に見えるのがお隣の西伊豆町。
そんな昔話を厨房の洗い場で聞かされたのが、当時板前だった代表の松本潤一郎。
世界中を渡り歩き、道への造詣が深かった彼は早速教えてもらった古道を訪れました。
少し入ると折り重なる様に倒れた倒木に阻まれるも、一本づつどかしていくと綺麗なハーフパイプ状の道が見えたそうです。
古道の造形に感銘を受けスイッチの入った彼は友人をツテに林業チームに入り、木の切り方、道具の使い方を学び一人粛々と古道の再生を始めました。
話を聞きつけた友人たちが手を貸してくれ、1km程の古道を再生させました。
その頃からこの古道をどうにか利用したいと考える様になり、南米でのオフロードバイクの旅から構想を得てマウンテンバイクに行き着きました。
「海だけだったこの町に、山の観光を取り戻す」というパンチラインを武器に、町や自治会、古道の出入り口にお住まいの町民の方々に許可をもらい古道の再生は加速していきます。
トライアンドエラーを繰り返し、毎年やって来る台風にも負けず、雨上がりに道をほじくり返す猪にも負けず、男5人がかりで丸一日作業しても100mも進まない日もありましたが、これまでに40km以上の古道を再生させてきました。
こちらのページの動画をご覧いただくと、作業内容が分かりやすいかと思いますので是非ご覧ください。
Yamabushi Trail Tour | 西伊豆再生古道プロジェクト
伊豆には、この数十年の車社会化や化石燃料に依存する生活への変化で使われなくなってしまった1200年以上の歴史ある古道があります。わたしたちはこれらを関係する全ての地区や管理者の許可を得て、自らの手で再生しています。 …
そんな僕らの奮闘記をのんびりと綴っていきたいと思います。
とりあえずは古道との出会いと再生が始まるまでのお話でした。
次回からは実際のエピソードを交えながらお届けしたいと思いますので、これからも気長にお付き合いください。
ではまた。
この記事を書いた人
マウンテンバイクガイド/イラストレーター
松崎町生まれの純血伊豆ローカル。インドア派で頑なに心と身体を閉ざしていたころとは打って変わり、現在は山を切り開いてトレイルを作り、マウンテンバイクのガイドとして西伊豆の山中を駆け回る日々を過ごしているシャチク。一方で『彫刻家のじっちゃん』の名にかけて、イラスト・グラフィック等の小手先に本領を発揮中。几帳面な性格を活かし、代表の松本に足りない部分を補っていると《自負》している。